(゚∀゚)殺伐で逝こう!!

デムパ(;´Д`)ハァハァ・・・中心的な内容。新聞記事や他のサイトから仕入れた情報でハァハァする。 (°Д°)ハァ?:けちをつける。

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哲学とか哲学とか哲学について

 哲学書というと、すぐに文学的なイメージと結び付けられがちだけれども、今の私にとっては違う。もう少し味気ないものだし、感性によって理解するものではなく、訓練によって理解を深めるものだ。
 哲学書を読んで、世界が一変するというのは読者側での妄想でしかない、と私は思う。大学に入りたてのころくらいには、哲学書を読むたびに劇的な変化があったと思うが、あれは自分の感受性の変化と、刺激の変化と、読書とを結び付けていただけのことで、文学好きの夢想家の少年の妄想に他ならなかった。
 たとえば、今読んでいる哲学書はもはや哲学書と呼ぶべきかどうかさえわからないような、哲学者と心理学者(精神分析ではない)と脳科学者の論文が収められている本だ。この本には、刺激的なことが書いてあるか? と問われれば、確かに書いてあると思われる。
 でも、それは、大学に入学したてのときにマルクスを読んで別の世界が開けていくのを感じた(あくまでも「感じた」であって、幻聴や幻覚だって「感じられる」ものであるというくらいの意味合いだ)という意味ではない。論理学のテキストを解いていて、おもしろい、と思うのと同じ水準の刺激だ。丹念に文章を読んで、意味をなるべく精確に汲み取るようにして、きわめて分析的に味気なく他人の研究内容を追っていく、という意味で、(こんなことをわざわざ書くのもバカらしいが、●経ではなくて普通の)経済学に触れたときと同じような刺激だ。
 特に、私が興味を持っているのは分析哲学(分析哲学ということばにどれほど多様なものが含まれてしまうかということは措いておく)だが、分析哲学の本を読んだからといって、明日から世界が一変して見えるかというとまったくそんなことはないだろう。そして、そのような宗教的な感覚をもはや私は求めていない。社会学なら、世界が一変して見えるかもしれない。経営理論だってそうかもしれない。しかし、分析哲学や経済学においてはそうではない、と思う。
 この違いについて、またしばらくたったら詳しく書いてみたいが、今は措く。
 大学に入りたての子は宗教を求めるのだ。
 今考えれば、たぶんそういうことなのだろう。
 
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  1. 2006/10/25(水) 00:52:08|
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