(゚∀゚)殺伐で逝こう!!

デムパ(;´Д`)ハァハァ・・・中心的な内容。新聞記事や他のサイトから仕入れた情報でハァハァする。 (°Д°)ハァ?:けちをつける。

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本読みについて

 本を読むことが文句なしに偉いことだった時代はとうに終わってしまっていて、それが終わってしまったこと自体私は気づいていない。つまり、私は古典的な教養主義についてほとんど何も知らないし、調べたこともないのでここではそういう話をするのではない。
 いくつかの前提について話をしよう。
 まず、
①本を読んだからといってその人間が賢くなっているとは限らない
 というネタから。いくつかの理由が考えられる。本に書かれていることが嘘っぱちであり、読み手がそれを認識していない場合、バカな記述を鵜呑みにして馬鹿が伝染するという可能性がある。しかし逆に本の中身が正当なものであり、読み手がそれをきっちり理解することができるならば、知識が伝えられる。
②本をたくさん読んでいるからといって、彼が優秀な人間であるとみなされるわけではない
 いくら本を読んでもバカはバカであるということはかなり広まっている。実にいいことだ。しかし読書家として彼が優秀な場合本を読んでいないということはほとんど考えられない。ただ読書家という一部の趣味を同じくする人たちの地位低下は目覚しく、読書家として優秀であることはそれほど自慢にならない。また、学歴の高い人はおそらく本を多く読む傾向にあるが、その関係はさほど緊密ではない。そして、本読みであることよりは、高学歴のほうが世間での認知度は高い。
③本がいまだに高尚な娯楽であることに間違いはないが、別に本を読まなくてもやることならほかにたくさんある
 本を読むために支払う金と時間を使って、ほかのことをすることができる。たとえば、このサイトの管理人は5000円くらいの金を書物につぎ込むことがある。そして、その本に何時間もかけてとりくんだりする。だが、同じ金額と同じ時間とでほかのことをすることができる。5000円もあればいろいろなことができるだろう。それらの機会がまるっきりそのまま読書のコストである。よく「みんな硬い本をよまなくなった」とわめいているジジイがいるが、それは硬い本のコストが上がったからである。そしてそれは教養のコストが上がったということをも意味する。
④つまらない本が増えた
 とおそらくジジイは二言目に言うだろうが、私もその見方に同意するにはする。しかし間違えてはならないのは、つまらない本はただ一方的に供給されているわけではなく、需要を反映してのことであると言わなければならない。あぶくのように現れては消えるゴミのような本もあり、中身を見ても実際にゴミ以外のなにものでもない本もあるのだが、編集者だって別に売れもしないし価値もない本をたくさん出そうとしているわけではないだろうから、当たればいいなと思ってどうでもいい本をたくさん出しているんだろう。なかには大ヒットするものもあるし、ひとつ当たれば屑いくつか分は回収できるということもあるのだろう。これが正しいとすれば、つまらない本が増えたということはバカな客が増えたということを意味するか、ジジイが求めるような価値を客が本に要求していないということか、単にジジイが耄碌しているかのどこかに落ち着くのではないかと思われる。
 私は、紙にかかれていようがいまいが知識を重視する人というのが世の中の人たちの大部を占めているわけではない、と考えており、かといって知識を重視している人間がちゃんと知識を持つということもなかなか難しいと思われる。そして読書家というのはそのなかの一部であるから、きちんとした知識がある読書家というのは稀少な存在なのだと考える。
 そして、書籍の市場というのはそうした読書家の数に比してどう考えたって大きいわけだから、良書に比べてゴミがたくさん出回ってもおかしくはない。むしろまともな事態だと言えると思う。
 本読みは・・・それも教養の名前にカテゴライズされるような本を読む人間はちゃんといる。しかし、彼ら(たぶん私もそのなかに含まれると思うが)が文句なしに優秀なわけではなく、自意識を肥大させて「なんでみんな本を読まないんだァ」という恥ずかしい叫び声をあげなければ、つまりひっそりと生きていれば害は少ない。むしろ、読書家集団の水準を引き上げるためには、同じ「趣味」をもつ人を少しでも増やせるように地道かつ巧妙な働きかけを行っていくべきなのであって、単に叫ぶべきではない。ひっそりと布教活動に努めるべきなのである。恥ずかしいから。
 では逆に本を読まなくていい、と声高に言っている人をどう見ればいいかについて考えてみよう。すでに見てきたように、本は読まなくてもいいものなのだし、現にそうなっているものと思われる。事実関係は調査する必要はあるが、教養書の売り上げをみればそれがたいした数でないことくらいはすぐにわかるはずだ。一方で、それほどお堅い本ではない本を読んでいる人もそれなりにいるはずで、この中間領域も含めれば、出版業界を支える市場が姿を現してくるはずだが、それでもまあ知れた数だろう。そのような事態を踏まえてみるに、「本を読まなくてもいい」ということばは「本を読んでいない人」に対してではなく主に「本を読まなければならないと思っている人」か「本を読まなければいけないのかなあと思っている人」に向けられているものと考えることができる。ここを看過すると、「本を読まなくてもいい」ということばは単なる現状追認のセリフになるし、たいした現状でもないわけだから、それはそれで醜悪な意味で保守的なセリフと私の目には映る。では逆に読書あるいは教養への使命感に駆られてしまう人へのカルマ落としとして「本なんて読まなくてもいい」というセリフはどうなのだろう?
 私はこの側面でも実は評価していない。「本を読まなければいけないのかなあと思っている」人は放っておけば本を読むか/読まないかに分かれる。そして読んでしまった場合には「本を読まなければいけないと思っている人」になるわけであり、その場合、先述したように、控えめな趣味人/うるさい趣味人に分かれることになる。後者はさしでがましい要求をしているわけだから、鬱陶しいと思うなら、その要求を攻撃すればよい。しかし、そのためには「本なんて読まなくてもいい」というセリフよりももっと限定的に効果を発揮するセリフがあるだろう。下手な絨毯爆撃をするよりは局所的に焼き尽くしてしまったほうが効果的である。「本なんか読まなくていい」というよりも「うるせえ、バカ」という方向に切り替えたほうが効果的である。もうひとつ、漠然とした憧れに巣食っているゴミのような教養人がいる、と思って「本なんて読まなくていい」と言っているひともいることだろう。しかし、これも漠然とした一般論をやるよりも集中的に個人の言説を攻撃するほうが効果的である。教養と崇められて声高に宣伝されているものがどれだけ薄っぺらくて底が浅くてしょうもないかを丹念に追っていくほうがバカひとりを血祭りに上げる方法としては効果的ではないだろうか。
 というわけで、私は「本なんて読まなくていい」という言い分をほとんど評価しない。
 なお、ここの記述は著者や本の題名を具体的に放り込んで論じてもよかったのだが、まあ、そのいろいろとうるさい時代でもあるし難癖をつけられるのも鬱陶しいので、この文章を読んでいる人たち自身の手でバカの名前や底の浅い教養を具体化する作業を行ってほしいと思う。
 なお、深い教養であっても存立基盤が怪しくなっている・・・かもしれない・・・今日だが、その役割についてはここでは論じない。めんどうくさいからである。なお、私自身について言えば、エリートかどうかは別として鼻持ちならないエリート主義者であり、教養主義者であり権威主義者でもある。しかし、この件に関してはあまり関係がない。たぶん。
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  1. 2005/03/13(日) 10:19:24|
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